2016年9月8日木曜日

ハッピーリスちゃん

むかーし、フェリシモで買ったハッピーリスちゃんの型紙。どこ行っちゃったかなぁ。

この子たちはそれぞれ名前を付けられて、世界の恵まれない子どもたちに贈られました。もう10年も前のことだからお役御免になってるかな。

使い終わったランドセルも寄付しようと取ってあったのですが、反抗期真っ只中の娘に関するものは私の方が当時拒否反応を起こしていて、何もしないまま今もホコリをかぶっています。息子が卒業したら2つ一緒に送ろうかな。お古を送りつける罪悪感がないわけではないのだけど、こちらで必要のないものがどこかでお役に立てるならと前向きに考えるようにしています。そんなことでしか私自身もお役に立てないですし。

理想は高く崇高なのだけど、まるでついて行けてないアタシ、、、イヤイヤ、だからそんなふうに考えちゃいけないの。できることをできる範囲でやればいいの。と自分に言い聞かせる。

冬物に取りかかりました。モヘア暑くてかゆい(^_^;)

2 件のコメント:

  1. あぁ、わかります。
    何か社会に還元したいんだけど、自分の生活でイッパイイッパイなんですよね。
    (え、私と一緒にするなって?)
    私財も労力もなげうって社会活動されてる方って、ほんまに尊敬します。私にはできないもん。
    けど、私は私で、自分の身だけは律して行こうと思います。
    私と私の家族だけでも、世間に恥じないように、というのが今の私に最低限できる社会貢献かな。
    あー、税金と健康保険はたんまり払ってますけど…自営はめっちゃ絞られるんで…グスン。
    大きなことするだけが尊いんじゃなくて、ささやかで小さなことも大事なんですよ。( ・∇・)

    あー、いつぞやのあずまぶくろ、ちゃっかり真似させてもらいますー。
    ちょっとしたラッピングに使うのもエコでいいですよね。

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  2. もちろん、我が家もいっぱいいっぱい!
    食うに困らない程度の生活ができてて、子どもたちはちゃんと教育を受けられて、私は道楽の延長みたいな仕事してて、それで十分シアワセでしょ?って言われたらシアワセなんですけど。。。でも将来に対する不安みたいなものはいつもあるし、もうちょっと余裕のある生活もしたい。
    内戦や難民生活、不衛生な環境、食糧難、そんな中で暮らさなきゃいけない子どもたちのことを思うと胸が痛むのだけれど、じゃあ自分のお財布からいくら出せるかって考えたらそれはちょっと…となってしまう。恥ずかしいけれど。

    大きな事はできないけれど、できる範囲のことをする。
    古いものをあげるではなく、不必要なものを必要としている人にあげる。

    いちいちこんな変換をしないと、やり切れない気持ちになります。理屈っぽい??
    ささやかなこと、続けていきます。

    あづま袋、ラッピングに使うの良いアイデアですね♪ それならハンパ布が出るたびに作りおきしてもいいですよね〜。

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